どーも!「子連れさとん.com」管理人のさとんです。
2018年の夏に行ったマレーシア の観光情報をご紹介しています。世界遺産の島であると同時に、リゾート地やロングステイ先としても人気が高いペナン島 。
今回はペナン島 の歴史を紐解いてみたいと思います。世界遺産に選ばれた理由の一つである、中華やインド、そしてイギリスの文化が混ざり合う多様な風土はどのように作られたのか?ペナン島 の歴史からその成り立ちを紹介します。
それではレッツゴー!
ペナン島の歴史~イギリス人の入植まで~
まずは、ペナン島 にイギリス人が入植するまでの歴史をみていきましょう。
ペナン島 は元々、航海の補給地として中国やインド・アラブの商人たちに利用されていました。
16世紀初頭。インドを支配したポルトガル人がやってきたあたりから、欧米列強の権力闘争に巻き込まれていきます。
イギリス東インド会社。学校の歴史の授業で出てきたことを、いったい何人の人が覚えているのか定かではありませんが、1600 年代に設立されたこの貿易会社は、東インドで独占的な貿易を続け、圧倒的な富を背景にペナン島をはじめとしたマラッカ海峡の交易に進出をはじめます。西暦1700年代のことです。
1786年。イギリスの貿易商フランシス・ライトなる人物がペナン島 の開発を東インド会社内で発案し承認されます。といっても、当時ペナン島 はイギリス領ではなく、クダ・スルタン王国というマレーシア北部にある小国の一部でした。
当時、クダ・スルタン王国は、さらに北にあるタイ(当時の呼び名はシャム)やビルマと慢性的な交戦状態にあり、戦況もはかばかしくありませんでした。
そこにつけ込んだフランシス・ライトは、イギリス軍の助力とペナン島の賃貸料として年間30,000ドルを支払うことを条件に、クダ国王からペナン島を租借します。
同年。ペナン島に入植をはじめたライトたちは、東の岬に最初の街を造りました。当時の英国王ジョージ3世にちなんで名付けられたこの街こそ、現在のジョージタウン です。
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ペナン強奪!
めでたくクダ王国からペナン島を租借したイギリス東インド会社。クダのスルタン、アブドゥッラーもイギリスの後ろ盾を得て、両者ウィンウィンの関係と思いきや、当時のイギリスに約束を守る気はさらさらありませんでした。
ライトにはあったがイギリスに無かったのか、そもそもどちらにも無かったのか、いざビルマやタイが攻め込んできても一向にイギリス軍は助勢する様子もなく、さらにペナン島 の賃借料すら満足に支払われない、アブドゥッラーにしてみれば踏んだり蹴ったりの状況です。
ライトたちイギリス人の入植から4年後の1790年。再三の援軍要請も反故にされ、まんまと騙されたことにようやく気づいたアブドゥッラーはペナン島に軍を差し向けます。が、その動きは情報網を周囲に張り巡らしていたフランシス・ライトに筒抜けでした。
ペナン島 の対岸に陣取ったクダ王国軍に対し、ライトはインドから呼び寄せた傭兵部隊に海峡を渡るように命じます。
払暁。ジョージタウン を出航した傭兵部隊は対岸に上陸するや、クダ王国軍の砦を襲撃。不意を突かれたクダ王国軍は壊走しアブドゥッラーはイギリスに屈服するしかありませんでした。
この辺りの展開は海皇記を彷彿とさせますね!小説や映画にでもできそうだ、と個人的には思いますが、イギリス側には感情移入できないなあ…(笑)やり口がエグイ!!
イギリスの支配後
ペナン島 を力づくで手に入れたライトはその後、島の関税を廃止し貿易や入植を振興します。とはいえ、イギリス人は少数派。
そんな不安定な権力構造の中で、ライトが選択したペナン島 の支配方法は、各民族ごとに代表者を選出し、彼らの意見を統治形態に組み入れていく方法でした。この方法により、インドや中国といった各コミュニティは失われることなく、現在に至るまで存続することになります。
様々な文化が入り混じったペナン島 の不可思議な魅力は、皮肉にも征服者であるフランシス・ライトによって、種が蒔かれたと言って良いでしょう。そうして蒔かれた種は、長い歴史の中で芽吹き、世界遺産に選ばれる理由の一つになろうとはライト自身も、思ってもみなかったと思います。
その後ペナン島 はイギリス領内にあって、インドのマドラスなどと貿易港として優劣を競い合い、シンガポールの独立にダメージを受け、凋落と勃興を繰り返します。
やがて、第一次世界大戦、第二次世界大戦を経て、イギリスから独立したマレーシア に組みこまれ、ここでも様々な大波小波を経験しつつ現在に至ります。
まとめ
以上、「ペナン島の歴史を調査!世界遺産に選ばれた理由は歴史が知っている!」をご紹介しました。
ペナンを彩る多様な文化が生み出された背景に、ペナン島 を取り巻く権力闘争が存在した、というのは知りませんでしたが、その事実がペナン島 の多様な文化の価値を損ねるわけではありませんよね。
歴史を知るのはホント面白いな、と思います。ペナン島 へ行かれた際は、フランシス・ライトが渡るよう命じた海をジョージタウン から対岸のバターワースに向かって遠望してみると、当時の様子が想像できるかもしれません。
それでは!
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