前田利家の生誕地「荒子」のアクセスを紹介!犬千代ロードを歩いてみた感想は?

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戦国紀行
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どーも!「子連れさとん.com」管理人のさとんです。

戦国武将「前田利家」といえば豊臣政権五大老の一人であり、江戸時代、加賀藩(現在の石川県と富山県)100万石の藩祖として有名ですが、この人の出身は石川県でも富山県でもありません。

 

織田信長の側近として出世した前田利家公の出身は愛知県。今回はそんな前田利家公の生誕地「荒子」を訪れる機会があったので、前田利家公の略歴や生誕時「荒子」へのアクセスや荒子にある犬千代ロードを歩いてみた感想をご紹介します!

 

それでは、出陣!!

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前田利家とは?

はじめに、前田利家公の簡単な略歴をWikipediaより抜粋します。

前田 利家(まえだ としいえ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。加賀藩主・前田氏の祖。豊臣政権の五大老の一人。俗に「加賀百万石の祖」とも称される。

天文7年12月25日(1539年1月15日):尾張国海東郡荒子村(現・名古屋市中川区荒子)、荒子城主前田利春の四男として生誕(生誕年については諸説あり)
織田信長家臣時代
天文21年(1552年):萱津の戦いで初陣
永禄元年(1558年):赤母衣衆、筆頭に抜擢 
         (母衣衆:信長の親衛隊的存在の直属精鋭部隊)
同年 従妹であるまつ(芳春院)を室に迎える
永禄12年(1569年):前田家の家督を継ぐ
元亀元年(1570年)金ヶ崎の戦い、同年6月 姉川の戦い、天正元年(1573年)一乗谷城の戦い、
天正3年(1575年)長篠の戦いなどに従軍
天正9年(1581年)織田信長より能登一国を与えられ、七尾城主となり23万石を領有する大名となる天正10年(1582年)本能寺の変
豊臣秀吉家臣時代

天正11年(1583年)賤ヶ岳の戦いで豊臣秀吉に味方し、戦後、本拠地を能登の小丸山城から加賀の金沢城に移る
文禄3年(1594年)権中納言に任ぜられる
慶長3年(1598年)8月18日 豊臣秀吉没
慶長4年閏3月3日(1599年4月27日)大坂の自邸で病没。享年62(満60歳没)

 

織田信長の家臣から、織田家の同僚だった豊臣秀吉の家臣となり、最後は秀吉の遺児「秀頼」の傅役として生涯を終えました。こうしてみると、なかなか世渡り上手な感じもします。

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生誕地「荒子」はどこにある?アクセスは?

さて、前田利家公の出身地ですが、尾張国海東郡荒子村(現・名古屋市中川区荒子)とされています。

荒子の場所は?

荒子」の場所は地図で言うとこちら。

荒子へのアクセスは?

荒子へのアクセス(最寄駅)は以下の2駅となります。いずれも名古屋駅から電車一本で到着します。

名古屋臨海高速鉄道あおなみ線「荒子駅」(名古屋駅から3駅目、7分)
名古屋市営地下鉄東山線 高畑駅(たかばたえき)(名古屋駅から7駅目、12分)
※所要時間は目安です

 

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生誕地「荒子」へ行ってみた

2022年4月。ひょんなことから、名古屋市中川区を訪れることになったさとんは、こんな機会でもなかったらきっと来ないだろうな、なんて思いつつ、前田利家公の生誕地「荒子」を歩いてみました。

 

荒子駅界隈

最寄りのあおなみ線「荒子」駅がこちら。開業は2004年ということなので、そこそこ年数は経っているはずですが、きれいな建物です。

 

 

駅前には、「前田利家公初陣の像」が勇ましく、建っています。

 

 

 

 

 

前田利家公の像の横には、おまつの方の像もあります。

犬千代ルートを歩く

前田利家の幼名にちなんで、荒子駅界隈から荒子城址までは犬千代ルートと名付けられています。ルートはこんな感じです。

道にも犬千代ルートの表示が。

この犬千代ルートですが、普通の住宅街の中を歩きます。

あおなみ線「荒子駅」→「荒子公園」→「荒子観音寺」→「荒子城址」と歩いてきました。

荒子公園

まずは、市民の憩いの場、荒子公園です。

公園内には前田利家公が整備したと伝わる梅苑があります。梅の季節ではないので、公園内を抜けて荒子観音へ向かいます。

荒子観音

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

荒子観音(あらこかんのん)は、尾張四観音のひとつに数えられる天台宗の寺院です。本尊は聖観音(しょうかんのん、33年に1度開扉の秘仏)。

 

こちらの荒子観音多宝塔(1536年造営)は重要文化財に指定されています。

本堂が前田利家公により再建されたのが、天正4(1576)年のことです。

 

とっても広い境内で落ち着きますね。

荒子城跡

こんな感じの住宅街を抜けて、荒子城跡へ。観光客の姿は皆無でした(笑)

 

 

 

普通は加賀百万石のお膝元、金沢城へ行きますからね(^^;

 

ここが前田利家公生誕の地であり、荒子城址でもある、富士権現天満宮です。

 

 

城といっても砦程度のもので、城壁などは残っていないそうです。

境内には、大きな石碑と前田利家公生誕の地の幟(のぼり)が立っていました。

本堂には、前田家の家紋である梅鉢紋が描かれています。さい銭箱にも梅鉢紋。その隣の桐の家紋は豊臣家の家紋です。豊臣家と一緒に、何かを寄進したのでしょうか?その辺りの詳しいところはどこにも書いてませんでした。

静かな雰囲気の前田利家公生誕の地。今から600年以上前には、このあたりを前田利家公が槍を持って走り回っていたのか、と思うと不思議な感じです。

富士権現天満宮の隣には普通の児童公園があって、鯉も泳げるせせらぎがありました。戦国の世に思いを馳せながら、春の日に散歩するのもまた、楽しいものです。

 

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まとめ

ということで、以上「前田利家の生誕地「荒子」のアクセスを紹介!犬千代ロードを歩いてみた感想は?」をご紹介しました。

 

加賀百万石の藩祖であり、豊臣政権五大老の一人でもある前田利家公。しかし、荒子の方々には申し訳ないですが正直なところ地味…。戦国時代を舞台にした大河ドラマでも、チョイ役の域を出ない感じです。

 

とはいえ、それで前田利家公の功績が否定されるわけでもありませんが、いかんせん、荒子に観光客はほとんどいませんでした(^^;

 

ま、そんなわけで、あまり人の行かない戦国街道を歩いてみました。折があれば、あなたも散策してみてください。

 

それでは!

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